オーストリアの首都、ウィーン。長い間ハプスブルク帝国の都であったこの美しい街は、モーツァルトやベートーベンをはじめとした音楽の巨匠が目指した場所であり、現在でもクラッシック音楽の都としての地位はゆるぎない。街を歩けば、圧倒的な建築物にすっぽりと飲み込まれ、宮殿内の美術館に行けば、歴史と文化が肌を弾くように迫り、カフェに入れば、この街伝統のケーキと、洋酒とクリーム入りのコーヒーが待っている。何にも邪魔されず、こんな優雅な気持ちをいただける街は、世界広しと言えど、なかなかない。
しかし一方で、ウィーンの歴史と文化の大きな部分として、ワインがあることを、記者は最近になって知った。
ウィーンは、少なくとも古代ローマ時代からワインが栽培されている地域であり、現在、原産地呼称ワインを生産する、世界で唯一の首都だとのこと。
11月11日、聖マーティンの日。ウィーンの伝統では新酒・ホイリゲが解禁されるこの日に、ウィーンにおいてぶどう農園とワインの醸造所を所有する一族の一人で、醸造責任者でいらっしゃるアレクサンダー・ツァーヘル氏に、ウィーンのワイン文化についておうかがいする機会を得た。
「ホイリゲは、ドイツ語で、今年のワイン、という意味で、常に最初に公開されるワインでした。また、伝統的には、この新酒から名前が派生した、同じくホイリゲ、と呼ばれるワイン居酒屋で、樽からそのまま提供されたものなのです。」
ぶどう農家が所有するホイリゲ居酒屋の歴史は、18世紀にさかのぼる。オーストリア大公、マリア・テレジアの息子で、フランス最後の王妃マリーアントワネットの兄でもあるヨーゼフ2世は、1789年、ウィーンのぶどう農家に対し、自分たちの作ったワインを小売し、食事を提供する許可令を発布する。これが、ワイン居酒屋のはじまりである。
ちなみにツァーヘル家のワイン居酒屋の建物は、マリア・テレジアが作った、南ウィーンで初めての公立学校だったものなのだそう。この学校は、特権階級だけに限定されない、一般市民も行ける学校だったのだそうだ。
ウィーンのワインの特徴は、とうかがうと、「ゲミシュター・サッツ(Gemischter Satz)です。」「(ウィーンのぶどう栽培面積の)50%がゲミシュター・サッツなんです。」と即答が返ってきた。これは、色々な種類のぶどうの木を混植し、同時に収穫し、一緒に醸造するという、ヨーロッパの古い伝統のワインの作り方のウィーン名なのである。この方法は、19世紀の「フィロキセラ禍」と呼ばれる害虫の大流行でヨーロッパのぶどう畑が大打撃を受けて以来、ほとんどなくなってしまった栽培・醸造方法であるが、例えばオーストリア内でも、地方によって呼び方が異なるとのこと。一方、ウィーンの法律では、ゲミシュター・サッツの作り方を一番厳しく規制しているのだそう。
なぜ他の国々ではやめてしまったのに、混植混醸のゲミシュター・サッツはウィーンで残ったのだろうか。
アレクサンダーさんはこう言う。単に、ウィーンの人がゲミシュター・サッツを飲み続けてきたからではないでしょうか、と。ゲミシュター・サッツは作り手によってぶどうの種類の内訳が違うし、オーストリア独自の種類のぶどうもはいります。だから面白いんですよ、と言葉に熱がこもる。
ちなみにツァーヘル家のゲミシュター・サッツは、グリューナー・ヴェルトリーナー(Grüner Veltliner)、ミュラー・トゥルガウ(Müller Thurgau)、ノイブルガー(Neuburger)といったオーストリアのぶどう種にシャルドネが合わさったものになっている。
ただ、いつもいいときばかりだったわけではなく、1960年代、ウィーンへの観光客の数が突然増えてから、安く品質の悪いゲミシュター・サッツが多く出回るようになり、イメージが大幅にダウンしてしまったのだとのこと。そこへ改革に着手したのがアレクサンダーさんの叔父のリヒャルトさんだった。「今、ウィーンでは、みんながゲミシュター・サッツが何かを知っています。若い人がレストランに行って、ゲミシュター・サッツを注文しているんです。そのことを僕は本当に誇りに感じています。なぜなら、僕が14歳でワインと果実栽培の専門学校に入学したとき、ちなみに僕はまだ30歳なので、そんなに前のことではないですけれど、その頃は誰もゲミシュター・サッツに興味を持ってくれなかった。本当に誰も。それが過去15年でイメージが大きく変わったのです。僕の叔父が、これはいいものなのだと言って、売るようにしたおかげで。」
「旬の作物はいつも、その時限定のものへの期待と喜びをもたらしてくれますよね。」とアレクサンダーさんは付け加える。
新酒がでて、樽を開けるときには、「ホイリゲ」と呼ばれる居酒屋では、地元の人が集まって、大きなパーティになり、熱気をおびるのだとか。そして、旬のガチョウのローストや燻製とともにホイリゲをいただくのが典型的なのだそうだ。また、秋といえば、栗。ウィーンでは、栗に半分まで切り込みをいれて、たき火で焼き栗をするのが秋の風物詩なのだそう。栗の季節は新酒より早く、「シュトゥルム(Sturm)」と呼ばれる発酵途中の微発泡ワインと焼き栗が定番なのだそう。
ちなみに、秋には、ウィーンでは多くのイベントが開催され、シュトゥルムを提供する屋台もでるのだそう。
一方、ホイリゲの居酒屋のほうはというと、典型的な地元の、ウィーンの伝統料理が提供されるのだとか。そして、ウィーンのホイリゲで、例えばザルツブルクなどの他の地方や、ドイツの料理が供されることはまずないのだとのこと。
長い歴史の中で、常に季節に寄り添いながら、伝統をかみしめ、誇りに思って生きている。そんなウィーンっ子の横顔が垣間見えた気がした。
Written by: Rika Sakai