多様性の溶け込んだハンガリー グヤーシュ・スープの世界観

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美酒と頭脳と温泉文化の国、ハンガリー。太陽王ルイ14世をして「ワインの王」と言わしめたトカイ地方の貴腐ワイン、そして、周辺国の家庭料理としてまで根付いた赤いグヤーシュ・スープは世界に名高い。また、アジアの遊牧民を起源とし、周辺国とは全く異なる言語を話す、エキゾチックなヨーロッパの国という印象がもたれるだろう。では、ハンガリー人にとって、ハンガリーとはどんな国なのか。

ご自分の国のどこが一番好きですか?

「歴史ですね。」まったく別々の機会の取材で、20代後半で経済担当大臣となられたレヴェンテ・マジャール氏とハンガリ―ワイン界の重鎮、アコシュ・ネーメト氏がそれぞれ即答した。自分の国の一番好きなところが歴史?意外な視点である。しかも、このお二人は職業も年齢層も違う。そんな思いを胸にしながら、大使館での昼食をかこんだ取材におうかがいした。

東アジアの郷愁をかきたてるハンガリーの食器。

広間に入ると、クラッシック音楽が流れ、繊細なハンガリーの高級食器が円卓にセッティングされている。この食器、すべて手描きで柄をつけるとのこと。祖国日本の緻密な職人の手仕事を思わせる。かの有名な貴腐ワインも、ハンガリー外務省のワイン及び食文化アドバイザーのヘルガ・ガール氏によると、きれいに貴腐化したぶどうの粒だけを、細い指の女性が一粒ずつ選定して摘んでいって作るという。ちなみにこの種のぶどうは酸が強いので、摘んでいるうちに皮膚が少しずつ溶けて指先が痛くなるような作業とのことである。ハンガリーの方は、よりよいものを正確に作るために手間を惜しまない国民性なのかもしれない。

大使館料理長のボラージュ・サボー氏がにこにこしながら一皿目を運んできてくれた。皿の中央に花のように鮮やかな色をして載せられているのは、ハンガリーの国宝、マンガリッツァ豚のサラミと生ハムである。マンガリッツァの製品は日本ではまだあまり出回っておらず、今回はじめて賞味させていただいたのだが、正直、こんなに複雑で香り高いサラミや生ハムは生まれて初めてだった。サラミの下には、カッテージチーズとパプリカを混ぜたハンガリーのペーストがクラッカーの上に載せられている。やはり、ハンガリーと言えばパプリカ。ありとあらゆる料理にパプリカが登場するのだ。

ハンガリーの国宝、マンガリッツァ豚のサラミと生ハム。幾層にもなっているように感じる、深い香りが特徴的。絶品です。

ハンガリーの国宝、マンガリッツァ豚のサラミと生ハム。幾層にもなっているように感じる、深い香りが特徴的。まさに絶品。

シェフの作業コートに刺繍されたパプリカ。新大陸の原産地、メキシコからスペイン、そしてオスマントルコを経て伝わったとされる。

今日のホスト、公使参事官のアッティラ・エルドシュ氏と文化広報担当官、アンドレア・カールマン氏がハンガリーのルーツを解説する。この地は、ローマ帝国の時代、「パンノニア」と呼ばれる肥沃な属州であったこの地は、9世紀にマジャール人が到来したことにより、ハンガリー人の祖先は、もともとウラル山脈かなたのアジアの遊牧民族だったとのこと。その人たちが、家畜をつれて旅をし、現在の中央ヨーロッパのハンガリーの地に住み、オスマントルコ帝国、ハプスブルグ家のオーストリア帝国を含む数々の侵略の歴史を乗り越え、他民族と混ざり合いながら今日のハンガリーとなる。今回、この食事会を開催してくださったハンガリーの外交官のお二人、また、その前にインタビューに応じてくださったマジャール大臣、そしてワイン界のネーメト氏、みなさんにとても印象的だったのは、自国の歴史をまっすぐ見据えて自分たちのアイデンティティのベースにし、それを誇りにしている、という部分である。

例えば今日のメイン料理として運ばれてきたグヤーシュ・スープはまさに象徴的だ。一度、ハンガリーのワインと食材のセミナーに参加させていただいているので、ハンガリーには数々のとても美味しい料理が存在していることはこの舌で確かめている。しかし、今日、ハンガリーの文化を紹介するメインの取材にお持ちいただいたのは、洗練されたテーブルクロスの上にちいさな囲炉裏をセッティングし、つるされた鍋にたっぷりと入ったグヤーシュだった。文化担当官のアンドレアさんは言う。「この中には、野菜、肉、すべてが入っていて、完成された料理なんです。」また、「グヤーシュとは、家畜の群れの世話人、という意味なんですよ。」そう、この光景、まさに遊牧民族の屋外料理そのものだ。そして、さらに歴史に関しての話題が深まっていく。

遊牧民の屋外生活からの伝統食。

遊牧民の屋外生活からの伝統食。

お好みで辛いパプリカのペーストを追加。

お好みで辛いパプリカのペーストを追加。

シェフの手作りのハンガリーのパン。もっちりとした食感と味わい深い粉の香り。

シェフの手作りのハンガリーのパン。脇役らしくささやかだけれど、もっちりとした食感と噛み締めたときのうまみと香ばしさが忘れられない。

「土台は大事なものです。」「もし自分たちの土台、つまり歴史を知らなければ、他国と向き合うことはできないですよね。」とアンドレアさんは言った。そういえば、これとまったく同じようなことを、先日、ワイン界のアコシュさんもおっしゃっていた。「自分がどこから来たのか、きちんと知っている必要がある」と。参事官のアッティラさんによれば、ハンガリーの教育の中で歴史は非常に重要な科目とされていて、高校卒業時の試験の必須科目は国語、数学、歴史で、その他の科目は選択科目だとのこと。理系科目を重視し、歴史を軽んじる風潮が強い国もある中、非常に興味深い教育方針である。

また、ハンガリー人の歴史観は、ハンガリー人のルーツ、「土台」がアジアの遊牧民族、ということにとどまらない。マジャール大臣がおっしゃるように、「スロバキア人、ルーマニア人、オーストリア人、ドイツ人」そして、スパイシーなパプリカやコーヒーをもちこんだ、トルコ人など、様々な人が入り混じって、ハンガリー人となっているのだということを正面から認識している。「私たちはいろいろな血が混じっているんです。・・・私たちの歴史では、誰もがハンガリー人になれる。ハンガリー語を話し、文化を分かち合えば、あなたはハンガリー人なんです。」とアンドレアさんが付け加えた。こういった歴史観は、ハンガリー人の現在の世界観にもつながっているようである。国内にいるマイノリティの人々、ユダヤ人やセルビア人、ロマ族の人の文化を「私たちは誇りに思っています。」とのこと。

今食べているグヤーシュは、遊牧民族の祖先がもちこんだ、移動にふさわしく、栄養素がすべてとれ、寒いステップの夜でも体をあたためてくれる伝統の、自分たちのアイデンティティともいえるスープの中に、他国から持ち込まれた新しいものを取り入れたものだ。しかし、現代になっても、昔ながらのとろ火で、水を足しながらゆっくりとした煮込み方法でつくる。この料理の存在自体に、ハンガリー人の多様性と過去に対するまっすぐな視線とで大きな包容力をみた気がした。「すべての国の料理はその国の歴史の足跡ですね。」マジャール大臣の言葉を思い出した。

デザートの

デザートのsomlói galuska。刻んだクルミとスポンジケーキがカスタードとチョコでサンドイッチされているという、まさに見た目どおりのゴールデンコンビネーション。素直に絶品です。

 

Story by: Rika Sakai

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